目にした光景を、自らに問う。

2026年7月28日午後4時27分。

緊急地震速報のアラームがスマホから鳴り響いてきました。

「地震…」

何度聞いてもイヤなアラーム音に緊張感が走ります。

ちょうど、この夏の暮らしについて書いていた、その最中でした。 

私はすっと立ち上がり、ソファーの背もたれに手を置いて、緊急地震速報が鳴るといつもそうするように部屋の中を見渡します。

数秒後、揺れが始まりました。

カチャカチャと小さく食器が当たり合っている音がします。

「どこを押さえたらいい?」

と身構えながら、

「長い…これは大きい(地震だ)」

と直感しました。

揺れが収まったところで、急いでテレビをつけます。

【熊本震度7】

そのテロップに

「熊本、震度7?!くそっ!!」

と心の底から怒りに似た感情が沸き立ちました。

目次

東日本大震災から繋がる思い

2011年3月11日に起きた東日本大震災。

私にとって、今でも人生の中で一番衝撃的な災害でした。

東北地方は、ダンナさんが仕事で岩手県と縁が出来たこともあり、私も訪れることで大好きになった場所でした。

地震による津波で町がのみ込まれる光景をテレビで呆然と見ながら、

「これは日本の映像なの?」

と何度も何度も思った…。

そして、私は見たこともない惨状への動揺で、だんだんと気持ちや思考が冷静さを失っていきました。

「何かしてあげなくては」

「自分には何が出来るのか」

ものすごく焦っていました。

そして、思うように出来ないちっぽけな自分に腹を立ててもいました。

その後、冷静になった時、自分が正しくない判断をしていたことに気付きました。

起きたことをまず受け止める。

動揺しても冷静さを失わない。

自分が出来る援助を正しいやり方で差し伸べる。

これらのことが、私が東日本大震災から学んだことでした。

熊本地震のあの日

10年前の2016年4月14日、熊本地震の前震が発生しました。

そして翌々日の16日、再び本震が熊本を震央として九州を襲いました。 

4月14日の前震が起こったときの様子を、よく覚えています。

東日本大震災での学びから、地震を冷静に受け止めていました。

4月16日の本震が起こったのは真夜中の1時25分。

ダンナさんはめったにない泊まりの仕事で家にいない日でした。

緊急地震速報にベッドの上でぎゅっと目を閉じ、大きな揺れに別の部屋の物たちが落ちたことを感じながら耐えていた時間。

朝目覚めて、テレビで阿蘇大橋が崩落したことを知った時、緊張の糸がプツンと切れたように嗚咽して泣きました。

子供の頃から「赤橋」と呼んで親しんでいた阿蘇地方の一つの風景だった阿蘇大橋。

私の思い出も崩れて無くなってしまったようで、悲しさとくやしさが一気に溢れました。

熊本への思い

母方のルーツが熊本県なので、熊本県自体が親戚のような親しみがあります。

子供の頃は叔父の家にもよく行っていたし、天草(現在の宇城市)に住む母の従兄弟の家が海水浴場の前だったので、夏休みに遊びに行くのがすごく楽しみでした。

楽しくて優しい家族で、自家製のところてんは、いまだにあれ以上のおいしさとは出会っていない!

今ではその当時の面影は見当たらなくなっているけれど、今でも天草は大好きで時折行きたくなる場所です。

「道の駅うき」も好きな道の駅の一つです。

母は阿蘇が大好きで、実家に行くときは母と3人で阿蘇を回ることが定番のドライブになっていました。

本震が起こる一週間前の2016年4月9日。

この日は私たち夫婦だけで久しぶりにドライブに出掛けました。

「今日も阿蘇だけど。」

と、当日の日記に書いている。

今、改めてこの八文字をじっと見ると、すごく重い。

「今日も」という「も」は、また来ることができた、という本来なら奇跡ではないのか?


今はそう思ってしまう。

また行くことができて当たり前、あの風景をまた見ることができて当たり前…そう思っていました。

あの日、西原村(本震で震度7)の産直所「俵山交流館萌の里」で食べた「桜のいきなり団子」の味を忘れられない。

5月7日に八代まで下り、道を北上しながら、益城町ではひどく倒壊した家屋も目の当たりにしました。

なにげなく通っていたあの風景は、もう当たり前ではありませんでした。

その後仮店舗営業をしていた萌の里が再開され、再び訪れたのは、2017年3月19日。

以前の道は崩れ、その後新しい道ができて、同じルートで行けるようになるまでに何年かかったでしょうか。

やっとスムーズに萌の里に行けるようになった喜びはありましたが、その後訪れた岩手県の三陸海岸沿いの町で味わった感覚と同じようなものを覚えました。

新しくきれいになったけれども、もう以前の風景ではない寂しさ。

表面上は復興できたかのように見えるかもしれませんが、決してそうではありません。

主要道路でない道を通れば、まだまだ復興には遠いことがわかる場所が多くあることがわかります。

もう元には戻らない、記憶に残るだけの風景がある。

人の心に残った傷もまた、癒えるものではない。

まだまだ道半ば…地域の方々にとっては、先の見えない不安感との闘いでもあるのだろうと心を寄せます。

これからも変わらぬ思いで

7月28日の地震発生から数日経ちました。
この猛暑の中、被災された方々を思うと言葉が見つからないほどやりきれない気持ちになります。

「自分にできることは何か」

事態を冷静に受け止め、考えます。

少なくともこの10年間、阿蘇地方を訪れる時の気持ちの根底には、

「この町のためになるなら」

という気持ちがありました。

これからもその気持ちは変わりません。

なにより大切なのは、継続していくこと。

忘れないこと。

映像では映し出されない傷んだ町もあるということに思いを向けること。

今回も”想定外”のことが起こりました。

災害のたびに、それまで誰も想定していなかった出来事が、新たな教訓となり、防災の基準は見直されてきました。

残念なことに、その背景には、いつも取り返しのつかない犠牲があります。

今、生きているからこそ、何をやるべきなのか? 

自分はどう生きて行くのか?


自分が目にした光景は、その答えを問いかけているのだと思うのです。

なお、ふるさと納税制度を利用して各自治体を支援することができます。

楽天ふるさと納税では、令和8年(2026年)熊本地震被害寄付受付を行っています。

こちらからもどうぞご利用ください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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